プロフィール(長い)
はじめに。プロフィール。
R30で自分のことについて考えなければと思うが何もせず、現状維持を続けていたが、当時付き合っていた人にフラれただけで生活がブレブレに。次に付き合った人にも再度フラれてブレブレに。
あきらめずに復縁を目指すというしつこさに全力でエネルギーを傾けていた時の復縁サイトから自分のライフスタイルに疑問が浮かび、唐突に思い立ったのがブログ開設のきっかけ。
まさか恋愛至上主義のような思想が自分にあったなんて知りませんでした。
スマホで復縁記事を読みまくってまずは自己分析だ。とのことで真に受けて実行しようと考えた。これには副産物としてこれはビジネスにも通じると、いいことばかりが書いてある。
また、別れたダメージは全然消えないため、何かに集中したいとの自分の意識の消化、時間を空けたくない。何かしていたい。とりあえずやることに複数のプラス面がないともうやりたくない。っていうのが今の心情。
子供のころ
さかのぼって自分年表を作ると、自分には兄弟がおらず、両親と核家族で暮らしていた。幼稚園は地元ではあるが、割と厳しい教育をするところで、音楽会なるものは練習の時間が幼稚園とは思えない位長く、楽器は立候補制ではあるが、オーディション性。
また、音を間違えたものは皆の前に晒されて、注意をあからさまに受けるなど、珍しい、軍隊のような教育をするところであった。あの時自分が劣等感を抱く側であれば、今の性格にはならなかったと思うが、当時は注意を受ける側ではなかったため幼稚園ながらにその事実から安心感を得るという快感を覚えたのかもしれない。
小学校は普通の公立であったが、立地が高層マンションが建ち始めた地域であり、ほとんどの子が塾通いであり、いわゆるお受験組で、塾に行かない小学生のほうが珍しいという地域であった。
しかし、母親の影響があり(元小学校教師)自宅で十分学習できるといわれており、塾に行かないこと、公立であることが美学であるような気持ちを持ち、自分で学習をすると褒められることを覚え、実行していた気がする。また、小学生は運動のできる子が中心になる傾向があると思うが、自分は中の上であると考える。しかし仲のよい幼馴染が、ジャイアン的な、カリスマ的な存在であり、運動神経は抜群。それにくっついていたことが私の小学校生活を安定に導いたことは嘘ではないと思う。
当時学級崩壊が流行っていた(?)が、当時の高学年の自分のクラスも崩壊し、小学生なりの派閥やいじめが横行したが、幼馴染とは結託したままであった。目立つ存在であった幼馴染が劣性になった時も裏切らず(笑)ともに情勢を巻き返した(大げさにいえばだが)経験があり、とくに自分自身はいじめも受けず、うまくかわせていた。
今思えば、決めた人についていくという信念というか自分の思考はその成功体験からきているのかもしれない。
中学は学級委員に推薦される優等生タイプであるが、幼馴染のおかげでいい感じにそれが崩れて個性になっていた気がする。素行がいい中学とは言えなかったが、そこでもうまく過ごせていたと思う。ここで人生の初めての大きな選択として高校受験がある。
どうしてか理由がわからないのだが母親の影響は大きく、学区外の公立高校を受けることにした。というか、自分の意思がなく、それをすれば喜ぶだろうという打算があり、それを成し遂げたときに周りからの評価が上がるだろうと考えてだったと思う。
高校志望の理由は適当に考えて、自分の意思で選択したかのように言い聞かせるのがこのころから得意であったのかもしれない。
思春期?
高校時代は 幼馴染と別の道となり、とりあえずバスケ部へ。特段好きではない花形といわれる運動部に入ってみたり。
しかしそのスポーツがもともと好きではないため練習が辛いが退部するという勇気もないまま、継続することが美学だと自分を信じこませるような強迫観念を持っていたと思う。薄々気づいていたが、何も行動をしなかった。実はこの気持ちは小学生のころにやっていたサッカーとも共通していたが、この時点でも改善しなかったといえる。
基本的には自分の好きなことをしてきたと思っていたが、そう思いたかっただけで、自立した個人という自分がいる幻想を持ちたかったのかもしれない。
したいことをしたいわけではなくて、無難な道をわたって来たということ。選択はしていたが、周りによく見られたいという選択をしていただけであった。
学生時代の部活動は対外的なことを気にして選択して、本当に部活自体の活動を楽しいとは感じていなかった。その部活に集まる人と親しくなることを目的としていたと思う。それは大学時代に続き、結局同じバスケ部を選択。
その時の人間関係は今も続いているから後悔はしていないが、活動はやはり楽しくはなかった。このころの趣味は映画観賞であったと思う。インドアである。また、どちらかというと見た目が活動的であり、運動がよくできそうだといわれるスタイルであるため、インドアな自分は初対面ではわからないと思う。
就職
現在社会人であるが、その職も自分がやりたいと選択したわけではなく、対外的に「良い」といわれるものを選択している。しかし、仕事に消費する時間が無駄であるような気持ちが沸き上がり、むなしさが占める生活に疑問をもち、毎日に魅力を感じない日々が続いていた。
その時に一番自分で優先することは恋人との時間であった。 学生時代にも特に高校生の時に一度恋愛に目覚めたが、大学でリセットされていた。それなりに恋愛はしていたが、そこまでのめりこんではいなかった。当時は映画を見ていたり、恋人ではなく友人とどこかへ出かけたりしすることを優先していた。それが再び持ち上がるのが就職先での恋人である。どちらかというと淡泊といわれ続けていた自分が今思えば依存的になっていた。
自分の仕事の失敗がきっかけで当時支えてくれた人と恋人関係になるが、2年ほどで自分が再び仕事で大きなミスをし、自分に自信がなくなると同時に仕事に関して自分には向かないのではないかと考えが強く出るようになる。本気でその仕事に向き合っていたかといわれると、おそらく今までの流れと一緒で、褒められそうだから、短絡的、その場しのぎ的にやっていただけであり、情熱や楽しさがなかった。
冒頭に戻るが、復縁サイトから(笑)人生論にたどり着く偏った自分であるが、かっこいいことを言うなあというのが、ホリエモンとキングコングの西野さんだった。いままでビジネス書籍に全く興味がなく、ホリエモンといえば逮捕しか知らないという知識のなさ、またキングコングもお笑い?の人だよね、位の知識であった。もとろん興味がないこの二人を知るきっかけは付き合っていた人の影響。すぐに察っされると思うが、「バカとは付き合うな」の二人。影響を受けやすい自分は真っ先にこの本に飛びついて、ブログを通勤に読み漁るが、仕事は楽しいことしかやっていない、というスタイルを読んで、はっとした。
- ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > 哲学・思想 > その他
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楽しさとは。
学生時代の趣味といっていい映画、気になった俳優、監督の作品を追う、絵コンテを見る、何時間で同じ姿勢で寝ることも忘れることができた体験は何度もある。曲であれば暗記できるまで1日に同じ曲をリピートし続ける。飽きるって概念がないあの時のテンションや気持ちが、仕事や部活にはない。この楽しさのことをホリエモンやキンコンの西野さんは指しているのだろうか。違うかもしれないし、そうかもしれない。
本の内容にはなるが、人生は時間で、ほとんどの時間を労働で消費する。という一言があり、ということは、すでに自分は損をしている気がする。
自分を見る時間を持つことを取ろうとした変化のきっかけは冒頭での恋愛事情であり、ここまで自分が恋愛に左右されている人間であるなんて知らなかった。つまり、趣味と同じくらいに夢中になっているから、自分の中では恋愛っていう要素は楽しさを感じる、一つなのかもしれないし、依存から生まれる逃げなのかもしれない。
好きな人には別れを告げられて、仕事はうまくいかない。
苦しいからもう、楽しく生きたい。そう考えたときに自分にとって何が楽しいのか、わからない自分のままでは勿体ない気がする。すぐに影響を受けることも浅いといわれるかもしれないが、 考えないよりましかとは思い、試そうと今ブログを立ち上げようと深夜にPCポチったのはとりあえずいい思い出となると思う。
2018.11.11 深夜